お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

【城の歴史12】なぜ源氏は鎌倉に幕府を開いたのか

源平の争乱を経て「武士の棟梁」となった源頼朝(みなもとのよりとも)は、鎌倉に幕府を開きました。なぜ頼朝は清和源氏や河内源氏の本拠地であった関西ではなく、鎌倉の地を幕府の拠点としたのでしょうか。 まず、源氏が東国へ拠点を移した経緯をご紹介しましょう。歴史は、平安時代にさかのぼります。「この世をばわが世とぞ思ふ望月(もちづき)の欠けたることもなしと思へば」と詠んだ時代の寵児・藤原道長(ふじわらのみちなが)がこの世を去った翌年の長元元年(1028)に、房総半島(現・千葉県)で「平忠常の乱(たいらのただつねのらん)」が起こりました。 この乱を鎮めるために平氏の武士が派遣されていましたが失敗したために、 …

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