お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

【城の歴史8】なぜ城柵は築かれたのか?

城柵(じょうさく)は、大和朝廷が飛鳥時代から平安時代にかけて東北地方に築いた、蝦夷(えみし)支配のための拠点です。中央の政庁部分を囲む広いエリアを、木製の柵や築地塀によって取り囲んだことから城柵という名前がついています。 なぜこの時代に朝廷は城柵を築き、蝦夷を支配しようと考えたのでしょうか。その背景を調べてみると、天皇の意思が大きく影響しているようです。 飛鳥時代以降の大和朝廷は、大陸の大国・唐の制度を手本に、律令制度を取り入れた天皇中心の中央集権的な国づくりを進めていました。 唐の律令制度に基づいた内外の政治政策は、「中華思想」という中華の天子が世界の中心であり、その文化や思想は最も価値のあ …

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