お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

【城の歴史7】東北地方に築かれた飛鳥〜平安時代の城柵

飛鳥時代の後半、文武天皇の時代になると大和朝廷(大和政権とも)は大帝国:唐の律令制度の仕組みを取り入れた、大宝律令を制定します。律令制度とは、刑罰法の「律」と行政法の「令」によって国家を統治する制度のことです。 朝廷は、天皇を中心とした中央集権的官僚制の国づくりを進め、現在の奈良や京都の都から遠く離れた東北の地にまでその支配を及ぼそうとしました。国家の支配に組み込まれていないこの地方の人々を「蝦夷(えみし)」と呼び、彼らとその居住地域への支配拡大のために様々な政策を展開します。 今回ご紹介する「城柵(じょうさく)」は、大和朝廷が蝦夷を支配するために、軍事的かつ行政的な拠点として東北地方などに築 …

この続きは、ロンダンを定期購読頂くことで閲覧が可能です。

価格:月額1100円(税込)

ログインして閲覧する

お城カタリストの城語り 
過去記事一覧

テキストのコピーはできません。