全日本作法会で20年以上、作法に携わり、企業や大学にてマナー研修を実施している筆者が送る日本の礼儀・作法に関するチャンネル。 一口に礼儀・作法といってもそこに隠されている、込められている日本の心、文化について発信していきます。
大正月(1月1日~1月7日)、小正月(1月8日~1月15日)が過ぎると、節分・立春がやってきます。新暦ではお正月と立春までは一ヶ月ほど期間がありますが、旧暦では立春に近い新月の日が元日でしたので、立春の前日である節分に近い日となります。令和4年は2月1日が、旧暦の1月1日です。ゆえに節分を「年越し」とも呼ばれます。立春からがまことの新年という見方も納得がいきます。 立春の前日が節分。節分には鬼が出るということから、豆まきなどの行事が各地で行われます。本当の鬼、邪気や悪いものは目に見えないものであり、それを追い払う方相氏(宮中で邪気や悪鬼を打ち払う、新年を迎える前日に行われる儀式『追儺』の際 …
元日から七草粥の七日までを「大正月」と言うのに対し、一月十五日を「小正月」と言われています。今は、「松の内」が一月七日までとなっており、正月飾りは七日を過ぎるとはずします。「松の内」の間は神様が滞在している期間と考えられています。松の内が明けると、神様が天にお帰りになるので、正月飾りを片付けます。江戸時代以前は、「松の内」は一月十五日までとなっていました。寛文2年(1662年将軍徳川家綱)一月六日に七日をもって正月の飾り納めの通達が出されます。それに倣い、七日で正月がおわりという風習が、関東中心に広まります。その時に江戸幕府は、後に記す「左義長(どんど焼き)」も禁止しています。松の内短縮令は …
「あなたの干支は何ですか?」と尋ねられると、ほとんどの人が「寅です」というようにお答えになるでしょう。しかし、厳密に言うとこの答え方は正しくありません。前稿で記したように、「干支」とは「干」と「支」なので、「寅」だけだと「支」しか答えてないことになります。今年還暦の人は「壬の寅」と答えるのが正しいとなります。とはいえ、「支」だけを答えると多くの場合は、それで事足ります。 では、干支の「支」とは何でしょうか。 十二支の「支」とは幹の枝という意味があります。古代中国において天空の方角を東から西に十二区分に分け(十二辰)、記号として動物の名をつけたことに由来します。 十二支は子・丑・寅・卯・辰・ …
令和四年の干支は寅です。日本では、年末になると「干支(えと)」が話題になります。この「干支」は「十干十二支(じっかんじゅうにし)」の略です。 旧暦での日本の歴史的な出来事は「壬申の乱」、「戊辰戦争」など十干十二支で表されていました。干支で年を表現することを干支紀年法と言います。 さて、干支紀年法にも使われる「十干十二支」とは何でしょうか。 まず今回は「十干」について考えてみます。 十干は紀元前十三、四世紀の中国の殷時代(紀元前17世紀頃~紀元前1046年)に生まれ、日本に伝わります。甲(こう)・乙(おつ)・丙(へい)・丁(てい)・戊(ぼ)・己(き)・庚(こう)・辛(しん)・壬(じん)・癸( …
毎年やってくるお正月。一年の中で、最も大きな年中行事のお正月。そもそも「お正月」とは何でしょうか。 「正月」は旧暦の1月の別称です。改暦されてからは、新暦の1月をいいます。元旦(1月1日の朝)には「年神様」が各家に降臨して福徳を授けてくださると云われてきました。 年神様は、ご先祖様が百年、あるいは五十年後に神になるという祖霊神で、かつてはお盆と同じく先祖供養も行っていました。やがて分化して、新年のお祝いと新しい一年の無病息災を願うものになりました。とはいえ、年神様が降臨されるということで、敬意を表す「お」を付けて「お正月」と一般的には呼ばれています。 旧暦のお正月の時期は、新暦では立春の頃に …