我が国を想う

世界的に見ても安全な平和国家として知られるわが国日本だが、多くの問題が内在している。コメンテーターが判で押したように通り一辺倒なコメントしかしない時事ニュースをはじめ、様々な話題に切り込む、シリーズ「我が国を想う」。国を愛する筆者がいま一度世の中に真を問いただす!

我国において民主主義は、機能しているのか。

―――文民統制から考える――― 我国では、民主主義が声高に叫ばれますが、本当に民主主義が機能しているのでしょうか。文民統制の側面から考えたいと思います。 昨年の4月に小西洋之参院議員が自衛官から罵倒された事が問題になりま …

―――文民統制から考える―――

我国では、民主主義が声高に叫ばれますが、本当に民主主義が機能しているのでしょうか。文民統制の側面から考えたいと思います。

昨年の4月に小西洋之参院議員が自衛官から罵倒された事が問題になりました。朝日をはじめ反日マスコミは、文民統制を逸脱し厳罰に処すべきだ、と論調しました。自衛官であることを名乗ったから小西議員は問題にしました。小西議員の言い分は「軍人があろうことか国会議員であり文民様である小西に向かって罵倒した。文民統制を否定する暴挙だ。」という事でしょう。しかし、文民統制と言うのは「文民たる政治家が軍隊を統制する。」単純化すれば要するに「軍隊を動かすのは政府だ」という事です。

国民が選んだ政府が決める、という所に正当性があるというだけで、正しい結論を出すかどうかは別問題です。

我国では、金科玉条のように正しい事の様に言われますが、そうではありません。戦前、軍が暴走したから戦争になった事にされていますが、実際は文民が暴走したのです。詳しくは後述します。従って、自衛官が国会議員に暴言を吐いたとしても、文民統制を否定する事になるはずありません。ましてや、服務中ではなく、私人として行動している時でした。

自衛隊、自衛官は、国民の命を守らなければなりません。国民の敵である小西議員のように脳みそが赤く染まった文民政治家の暴走を止めなければいけません。そのために自衛官が文民政治家を批判するのは権利であり義務でなければなりません。但し、最後は政治の決定に従う必要はあります。

一国民あるいは自衛官であっても国会議員に対して「お前は国民の敵だ。」と言ってはいけないのであれば、批判する事など何もできません。文民統制を利用した言論弾圧としか言いようがありません。

残念ながら防衛省も大問題です。自衛官を、言語道断と言って、左遷しました。言語道断は防衛省の方でしょう。本来、自衛官を守るべき立場にある防衛省が一緒になって言論弾圧するなど、まさに言語道断です。もっとひどいと思うのは、制服組のトップの統合幕僚長までもが、「文民統制に疑義が生じている」と発言したと朝日新聞に書いてありました。朝日新聞なので、ほんまかうそかは、わかりません。

それと「軍事学」の問題です。シカゴ大学のジャノヴィッツは、「文民政治家が軍隊の仕事を真に理解してその責任を評価することと軍人が認識することによって政治の統制に従うのである」と結論づけています。

ところが、戦後ずっと大学では「軍事学」が教えられていません。教えてはいけない空気が常識となっています。政府がお金を出そうとすると大反対します。「軍事学」を知らない文民政治家がどうやって軍隊の仕事を真に理解してその責任を評価する事ができるのでしょうか。声高に「文民統制」を叫ぶ政治家や学者ほど「軍事学」を否定しています。少々脳みそが足りないのでしょうか。

では、戦前はどうだったのでしょうか。

支那事変は、昭和12年8月の第二次上海事変をきっかけに始まりました。日中戦争という呼称が使われていますが、日本を悪者にするために戦後に作られた呼称です。盧溝橋事件で始まったのは北支事変です。支那という呼称も含めて、詳しい事は、またの機会に述べたいと思います。

話を戻しまして支那と戦争などする気の無い我国は、蒋介石に和平提案をしました。ところが蒋介石は引き延ばし作戦に出て、事実上の和平拒否をしました。業を煮やした近衛首相は「国民政府を対手とせず」と有名な声明を出し、和平交渉は頓挫することになりました。

先程述べましたソ連のスパイ尾崎秀実が、近衛首相を誑かし、交渉決裂を煽った事は間違いのない所です。尾崎秀実は、巧妙に支那との戦争の引き金を引かせたのです。近衛文麿自身がスパイだったという説もあります。共産主義シンパであったことは、間違いないと思いますが、スパイだったかどうかは、わかりません。

蒋介石の背後には米英ソがついていました。米英ソは何としてでも蒋介石を日本と戦わすつもりでしたから、蒋介石は回答を引き延ばしていたのでしょう。それに近衛首相がまんまと引っかかったとも言えるでしょう。

かねてより早期和平を唱えていた陸軍参謀本部はこれに猛反対しました。昭和13年1月15日の大本営・政府連絡会議では、陸軍参謀本部が交渉継続を、政府が交渉打ち切りを主張し、激論を繰り広げました。

多田参謀本部次長は、早期和平を進めるべきだという強い信念から、条件を緩めてでも交渉を継続すべきだ、と涙ながらに熱弁をふるったのです。しかし、最後は政府の決めた事に従いました。文民統制を守ったのです。それでもあきらめきれない陸軍参謀本部は、天皇陛下に直訴しましたが、政府の決めた事だから従うように。要するに文民統制に従うように。としたのです。

これぞ、文民統制、民主主義の見本のようなものだと思います。軍としての意見を言い、激論を交わし、最後は政府すなわち文民の決定に従う。軍の意見を聞かない文民統制などありえません。それは文民独裁です。こう見てくると、戦前の方が余程文民統制が効いていたのではないかと思います。

明治15年、軍人勅諭が出され、軍人は政治に口出ししない事が定められていました。まともな民主主義派の軍人は、この事をちゃんと守っていたのです。では、軍人勅諭をやぶって政治に口出ししたのは誰でしょうか。共産主義に染まった赤色軍人です。

便宜的に共産主義を赤色、民主主義を白色と呼ぶ事にします。

五一五事件や二二六事件は、共産主義クーデターでした。北一輝が、理論的支柱でしたが、『日本改造法案大綱』など、まさに共産主義そのものです。青年将校は、うまく騙されたのだとは思いますが、この罪は免れません。

この時も、白色軍人である阿南惟幾は、「農村の救済を唱え、政治の改革を叫はんとする者は、まず軍服を脱ぎ、しかる後に行え」と批判しています。もう一人白色軍人の代表である真崎甚三郎大将も、二二六事件の現場に駆けつけた時の最初の言葉は、映画に出てくる「お前たちの気持ちはよく分かっておる」ではなく「これはアカの仕業だ」と言ったのです。赤化が進む陸軍において孤軍奮闘して軍規を回復し、我陸軍の健全化に懸命に努力していました。それゆえ、コミンテルンに操られた統制派の陰謀によって二二六事件の黒幕にでっち上げられ、軍法会議で一方的に裁かれて失脚したのです。

結局の所、戦前は、赤色軍人、赤色官僚、赤色政治家が我国を滅亡寸前まで導いたのが、戦後は、赤色マスコミ、赤色官僚、赤色政治家、赤色裁判官、に変わり、現在進行形で我国を滅亡に導いている、というところでしょうか。

憲法や法律に何が書いてあっても、運用するのは人間です。

戦前は軍隊という暴力装置を持った赤色軍人にかかれば中々逆らうのは困難になり、戦後は言論暴力団という暴力装置を持った赤色マスコミにかかれば中々逆らうのは困難になります。暴力装置にかかれば、憲法や法律など、あっという間に紙切れ同然になってしまうように思います。民主主義など簡単に消えてなくなってしまいます。

小西議員の話に戻して、「小西はあほやからほっといたらええねん。」という意見もあります。ノータリンの小西議員一人だけなら問題ないでしょう。しかし、問題は赤色マスコミ、赤色官僚、赤色政治家、赤色裁判官の赤色カルテットです。国民が思考停止している間に、民主主義は崩壊し、中共の属国に向かってまっしぐら、という事になりかねません。

最後に、私の拙稿が、我国の平和に少しでも貢献できる事を願っています。

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