我が国を想う

世界的に見ても安全な平和国家として知られるわが国日本だが、多くの問題が内在している。コメンテーターが判で押したように通り一辺倒なコメントしかしない時事ニュースをはじめ、様々な話題に切り込む、シリーズ「我が国を想う」。国を愛する筆者がいま一度世の中に真を問いただす!

小学歴史教科書を検証する満州事変その1

我国の最大の問題点は、国民が洗脳されていることに尽きると考えています。その間違った情報源がマスコミと学校教育です。今回は、日本文教出版の小学社会6年(歴史)から満州事変の記述を検証します。 ①日露戦争後,南満洲鉄道を管理 …

我国の最大の問題点は、国民が洗脳されていることに尽きると考えています。その間違った情報源がマスコミと学校教育です。今回は、日本文教出版の小学社会6年(歴史)から満州事変の記述を検証します。

①日露戦争後,南満洲鉄道を管理するなど,日本が勢力をのばしていた満洲

日露戦争後という表現は正確ではありません。南満洲鉄道の権益は、日露戦争に勝利して得た正当な権益です。日露戦争後というと日露戦争が起こり、その後、日露戦争とは関係なく、日本が満洲に勢力をのばしていったと受け止められます。

②昭和時代になって,不景気がますますひどくなり,国民の政治への不満や将来への不安が大きくなりました。

不景気で不満や不安が大きくなったから、満洲を侵略した、という文脈です。紋切り型の説明ですが、果たしてそうだったのでしょうか。

まず経済統計を見て下さい。

第一次大戦による好景気は、大正10年頃には終わりましたが、昭和4年に大恐慌がくるまでは、横ばいで推移しました。その大恐慌も、高橋是清の「コレキヨノミクス」とも言うべき、積極財政政策で昭和8年頃から、世界に先駆けて不景気から脱出しました。教科書やNHKなどは、昭和初期は貧しく暗い暗黒の時代に描かれています。

本当にそうだったのでしょうか。昭和4年当時の流行歌に「東京行進曲」という
歌があります。

1 昔こいし 銀座のやなぎ仇な年増を だれが知ろジャズで踊って リキュルで更けて明けりゃダンサーの なみだ雨

2 恋の丸ビル あの窓あたり泣いて文(ふみ)書く 人もあるラッシュアワーに 拾ったバラをせめてあの娘(こ)の 思い出に

3 広い東京 恋ゆえ狭い粋な浅草 しのび逢いあなた地下鉄 わたしはバスよ恋のストップ ままならぬ

4 シネマ見ましょか お茶のみましょかいっそ小田急で 逃げましょか変る新宿 あの武蔵野の月もデパートの 屋根に出る

この歌詞を見れば、鉄道など交通機関が発達し、自由な恋愛があり、都市が発展していく様子がよくわかります。学校教育やマスコミが描く昭和初期のイメージとは、全く異なります。満洲を侵略しないと、国民の不満や不安を押さえられないような状況には、とても感じられません。

余談ですが4番の「シネマ見ましょかお茶飲みましょかいっそ小田急で逃げましょか」の部分は、西條八十作詞の原案では「長い髪してマルクスボーイ今日も抱える『赤い恋』」だったそうですが、当局を刺激することになるので、変更したそうです。当時、共産主義が、どれだけ蔓延していたかが、この歌詞を見てもわかります。歌の話が出たので、脱線ついでに、「可愛いスーちゃん」という歌がありました。

お国のためとは言いながら人の嫌がる軍隊に志願で出てくるバカもいる可愛いスーちゃんと泣き別れ, この歌は、娑婆だけでなく、軍隊の中でも、無礼講の時には、歌われていたのです。戦前は、如何に「表現の自由」が守られていたか、よくわかります。それと軍隊は「懐の広さ」を持っていたのです。それに対して現在のマスコミや左翼共産主義者は、何て偏狭なんでしょうか。「お国のために、軍隊に志願しましょう。」みたいな歌詞の歌を、公の場で歌おうものならマスコミは袋叩きにするでしょう。

戦前、ジャズは敵性音楽だから、禁止されたなどと言われていますが、それは一部の赤色軍人が、言っただけで、今も昔も、偏狭な考えで、表現の自由や言論弾圧するのは、共産主義と相場が決まっているのです。

高校野球で伝統のある盛岡一高だったかが、甲子園に出場した際、NHKは、盛岡一高の応援歌のメロディが軍艦行進曲だったので、演奏させなかったのです。戦前は、表現の自由や言論の自由が無かったと、非難しているNHKこそが、先頭に立って表現の自由を弾圧しているのです。

①日露戦争後、日本が勢力をのばしていた満洲

日本が満洲に勢力をのばすのであれば、日露戦争後に、なぜ満洲を清に返したのでしょうか。明治33年の義和団事件のどさくさに紛れてロシアは満州を実質占領してしまっていたのです。日露戦争に敗れたロシア軍は、満洲から撤退しました。

もし教科書が書くように、日本が満洲に勢力をのばすのであれば、正に日露戦争後、ロシアに代わって占領してしまえば良かったのです。お人好しの日本は、満洲は清朝の故郷であるから、返してあげようと、返したのです。

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満洲を「返した」日本は、尊敬されたり感謝されたりしたであろうか。

当然に、バカにされただけである。

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[日本人が知ってはならない歴史//[正]/若狭和朋著/星雲社(発売)]

そうして今に至るも、何の反省もなく、天安門事件の後、世界が経済制裁を続ける中、天皇陛下に支那を御訪問して頂いたのです。これをきっかけに、世界は経済制裁を緩めていきました。それに対して中共のとった態度はどうだったでしょうか。徹底した反日政策でした。江沢民は、「歴史を鑑とせよ。」「侵略、虐殺を反省しろ。」と言って、正に「歴史戦」を仕掛けてきました。我国は、お人好しを通り越してウルトラバカと言われても仕方ないと思います。

「歴史に盲目な者は、未来にも盲目である。」

洗脳から覚めなければ、未来にも盲目です。教科書は、国民が最も信用している情報源です。教科書にデタラメが書いてあるなどと、ほとんどの国民は信じません。だからと言ってあきらめるわけにはいきません。

「千畳の堤もアリの一穴から。」

ネットの普及で、アリの一穴くらいは空いています。後は何か起爆剤があれば、反日という千畳の堤も崩壊するように思います。それまで、地道に訴えていくしかありません。

昭和六年九月十八日、関東軍が奉天近郊の柳条湖付近で南満洲鉄道の線路爆破工作を行い、張学良討伐を開始します。これが、満洲事変の始まりです。

①当時の政府には,満洲の日本軍の動きを止めるカがなく

「止めるカがなく」というのは全くの間違いです。政府が、「こんなものに予算は認めない」と言えば現地の軍隊だけで戦闘を継続することなど不可能です。「軍部が権力を持ち暴走した」と、軍部を悪者にしようという印象操作としか思えません。昭和3年、満洲を支配していた張作霖が爆殺されました。現在まで、関東軍河本大作大佐の仕業とされています。しかし、余りにも矛盾が多すぎます。政府も大して調査もせずに、関東軍の仕業にし、隠そうとしたことには疑問が残ります。

ソ連による暗殺であることは、ほぼ間違いないと思います。英国の諜報機関は、ソ連の仕業だと断言しています。息子の張学良が、ソ連にそそのかされこの事件に関与していたことは間違いないものと考えます。後の彼の行動を見れば、この事件の主犯格であると確信しています。

爆殺現場上が関東軍支配下の満鉄線下が張作霖支配下の京奉線

爆破された車両ソ連は、日本を共産化(=侵略)する事を、昭和2年(27年テーゼ)で決定しています。昭和10年には、日本を蒋介石を利用して、共産化(=侵略)する事を、決定しています。張作霖は、ソ連の言う事を聞かず、この事件の前にも暗殺されかけていました。ソ連にすれば言う事を聞かない張作霖を暗殺して、どうにでもできそうな張学良に首を挿げ替え、思うとおりに操ろうとしていた、と考えます。

爆破された車両の写真を見てもらえれば、わかりますが、張作霖が寝ていた場所をピンポイントで爆破しています。暗殺を警戒していた張作霖は、列車の編成を二十数両にし、どこに乗っているか、わからないようにしていました。乗っている車両だけでなく、その車両のどの位置に乗っているかまで特定できるというのは、張学良など極々限られた人間しかいません。列車の天井にセットした爆薬を爆発させたと考えるのが自然だと思います。

真相は未だ闇の中ですが、私はソ連の指示で張学良の起こしたクーデターだと思います。

日本側の動きを見てみます。

張作霖支配下の京奉線を満鉄がオーバークロスする鉄橋を何者かが爆破しました。しかし、爆薬の量が全く少なく、橋の上から写真のように爆破できるような状態ではありませんでした。その上、列車が通過する時に、張作霖が乗っている場所をピンポイントで狙って爆破するなど不可能に近いと思います。従って、列車にセットした爆薬で暗殺し、日本軍の仕業にするために、列車の爆破に合わせて、満鉄線の橋を爆破したと考えます

何より政治的に、張作霖は、表向きは日本に協力的であり、我国が暗殺する理由がありません。何者がやったのかは、ソ連のエージェントである河本大作大佐はじめ関東軍の人間である可能性が高いとは思います。父親から満洲の支配を奪い取った張学良は、父張作霖が対立していた蒋介石に寝返り、満洲の地に国民党の青天白日旗が翻ったのです。そして張学良は「国権回復運動」に乗り出し、満洲各地で日本の権益を脅かす行動に出ます。日貨排斥、反日宣伝が繰り広げられ、土地貸借をめぐる日満の紛争が続発し、日本人居留民の村落が匪族に襲撃されるなど治安が急速に悪化していきました。南満洲鉄道とその附属地は、ポーツマス条約以降の一連の国際条約によって合法的に承認された日本の権益でした。

国際信義を反古にして排日行為を繰り返す張学良の対応に、現地の邦人居留民から「満洲は十万の生霊、二十億の国補で購われた我が権益」「満蒙問題の解決には武力行使もやむなし」の声が沸き起こり、それはマスコミを通して国内世論にも飛び火しました。

満洲に翻る青天白日旗万宝山事件や中村大尉殺害事件なども発生していました。これには関東軍も出兵を計画したものの、本国の反対で実行できませんでした。張学良が悪事悪行を繰り返していることに対して、我国政府は何ら有効な手立てを打てませんでした。何もできない関東軍は、住民に「腰の軍刀は竹光か」とまで言われながら隠忍自重していました。だから関東軍が事を起こした時に国民は支持したのです。

関東軍は、あっという間に満洲全土を占領しました。関東軍の兵力は一万五千、対する張学良は、二十数万の兵力を保持していました。これだけの大軍を相手に勝利したのは、なぜでしょう。最大の理由は、関東軍が強かった事もありますが、張学良軍は戦意が足りなかったからです。なぜか。張学良は、大軍を維持するために、住民に重税を掛け、搾取していたからです。二十数万にのぼる軍隊を維持するために巨額の金が必要でした。財政支出の八割が軍事費でした。これは蒋介石他、支那の軍閥は似たようなものでした。平時の軍事費が30%程度であった我国とどっちが軍国主義なのか、マスコミに聞いてみたいものです。

張学良の財政収入は、アヘン収入が中心でした。不足を補っていたのが、私的な財産強奪や恐喝、財産家の誘拐などでした。これでは匪賊とまったく変わりません。

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張家軍の弱さというよりも、民衆の支持を得られず、満洲の民衆に追放されたというのが真実だ。「民衆の膏血の七〜八割は軍事費にあてられ、商民の三割はついに破産し流落した」という苛斂誅求を非難する声からも、民衆の基盤がいかなるものであったかがわかろうというものだ。だから、満洲事変後、張家軍が関東軍に駆逐されると、民衆は日本の「解放」を感謝し、各地で新国家建設運動が、次々と起こったのである。

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[黄文雄の近現代史集中講座/台湾・朝鮮・満洲編/黄文雄 (著)/徳間書店

(2009/12/22)]

誰も張学良のために戦おうなどと言う兵士はいなかったのです。そして、当時は日本国民も満洲住民(満洲人、モンゴル人、日本人、支那人、朝鮮人、ロシア人)も、関東軍の行動を支持したのです。これが、満州事変の真相です。教科書にあるように、資源や土地の獲得や、不況から抜け出すため、というのもあったでしょう。それだけであれば、ほぼ間違いなく、軍事行動は取っていません。主たる目的は、不当な行為で奪われようとしていた正当な権益を、守ることにありました。

もう一つの理由が、外蒙古の共産化でした。当時の国際情勢を見渡せば、日本の安全保障の根幹に関わる、より重大な事態が生じていたことに注目しなければなりません。

次回、リットン報告などと合わせて満洲国について説明します。

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