「最後のサムライ」と称された河井継之介は、幕末(~慶応4年)の長岡藩の人物(文政10年:1827年1月27日~慶応4年:1868年10月1日)で、藩内でも中堅どころの家柄であり、慶応4年(1865年)には郡奉行に抜擢されて、当時の情勢不安の中で藩制改革を主導し、役職を重ねながら藩の実力者となってゆく素地があったと考えられる。 継之助は中老となる前、公用人・郡奉行・町奉行兼帯となった後に「御奉行格加判」に就任している。この「奉行格」に河井家で登用されたのは、継之助が初であった。ちなみに『長岡市史』では町奉行は番頭兼務が原則なので、町奉行兼帯になった時点で継之助は番頭に就任した可能性が高い。 …
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