前稿で、静寛院宮(和宮様)が薨去されたことは既に述べたが、それより遡ること凡そ12年、慶応元年(1865年)8月10日、和宮様とともに江戸に下向し大奥に住まっていた母・観行院が卒去(享年40歳)、母の病状が悪化した頃より和宮様はたびたび自ら観行院を見舞っていた。下向後も異郷の地で和宮様を支え続けた観行院であったが、元治元年(1864年)秋ごろより体調を崩す。江戸に常駐していた典薬寮医師や幕府の奥医師たちが発行した容態書には、「御気血御不順」「御心痛」「御小水不利」「水気」「御手足麻痺」などの症状が記されている。年末に一旦持ち直すが、年が明けて慶応元年(1865年)に入ると再び病状が悪化した。 …
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