「中ソ分担構造」については前稿で述べたが、これらと切り離すことができない「お国の事情」、言い換えれば明治維新以降の個別要因が芽吹いており、社会の底辺に蔓延りながら、価値観をも覆していった。 即ち、元田永孚の「聖諭記」に東京帝国大学を視察された明治天皇陛下のお言葉として、「…そもそも大学は日本教育高等の学校にして、高等の人材を成就すべき所なり。然るに今の学科にして政治治要の道を講習し得べき人材を求めんと欲するも決して得べからず。仮令、理科医科等の卒業にてその人物を成したりとも、入りて相となるべき者に非ず。当世復古の功臣、内閣に入りて政を執るといえども、永久を保すべからず。之を継ぐの相材を育成せ …
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