前稿迄で、日本共産党の悪疾の成り立ちを丹念に述べてきたので、いよいよその本質について具体的に事例を挙げてみよう。 「日本の惨禍(54)」で述べた通り、GHQ によって監獄から解き放たれた共産主義者たちだが、大東亜終戦後の日本社会の最大の危機は、昭和35年5月~6月にかけて起きた、日米安全保障条約改定に反対した「六十年安保闘争」以外にはないだろう。 社共系の労働組合員や、全学連主流派だった過激派「共産主義者同盟」を中心とした学生たちが、連日のように国会や総理官邸を取り囲んだ。 当時の岸内閣は、自衛隊の治安出動をも考えざるを得ない状況に追い込まれていて、「六十年安保闘争」は深刻な影響をその後に迄 …
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