一般的には、シベリア抑留者数は60万人であり死者の数は6万人であったとされているが、ソ連の国家機関の発表した数値は昭和21年3月の30万人~35万人(ソ連外務省データ)を皮切りに、昭和22年3月の105万人余(ソ連外務省データ)まで十数種類あり、正確な数字は不明としか言えない。 おまけに昭和25年4月22日付け「プラウダ」では、「…タス通信社は全権をもって以下を声明する。ソ連からの日本人軍事捕虜の本国送還はすべて終了した…」と嘯いている。 シベリア抑留された中から、遂に母国の土を踏むことなく、ラーゲリで無念の最期を遂げた代表として、近衛文隆氏の抑留遍歴から振り返ってみよう。 ・昭和20年8月 …
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