【「対ソ静謐保持」という指示が発令されたのは、昭和16年12月3日付け大本営陸軍命令(「大陸命」)によって】と前稿で述べたが、以来昭和20年8月のソ連参戦に至るまで、それは関東軍にとっての一大標語ともなった。 それは、積極的には強大を装い、少なくても弱化の状態を露呈しないことであり、消極的には万事控え目にして相手に刺激を与えず、さらには相手から刺激されても、じっと我慢していることである。 大東亜戦争開戦時は、独軍が強大であり深くソ連領内に攻勢をとっていた時代であるばかりでなく、関東軍自体も優勢精強であったので、静謐確保という任務も特別の努力を払わずに達成できた。 要するに、静謐確保などという …
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