―支那の抗日(4)― ・盧溝橋事件②(1937年7月7日) 前稿(17)で、事件の全容を日本側の状況から時系列に沿って検証したが、対する中国側の状況と日本側中央と対比させながら、見ていこう。 上海辞書出版社が発行した「辞海」(1989年版)によれば、 「民国二十六年七月七日夜十一時、豊台駐屯の日軍の一部は宛平城外蘆溝橋付近において夜間演習を名目となし、日兵一名が失踪したるを口実として、日軍武官松井は部隊を引率して宛平城内に進入し捜査せんことを要求す。 当時わが蘆溝橋駐在部隊は、第三七師第二一九団吉星文部隊の一営金振中部隊なり。時に深夜にして将兵は熟睡中なるをもって当然日軍の要求を拒絶す。日 …
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