―維新十傑(6)― ・江藤新平(佐賀藩士 幼名:恒太郎 又蔵 号:南白) 天保5年(1834年)、佐賀藩士・江藤家の第二十一代として生まれ、嘉永2年(1849年)藩校・弘道館に入学。文久2年(1862年)に脱藩上京して尊攘勢力に接近するも失望し帰藩、脱藩の科で永蟄居となる。 解除され郡目付として復帰して以降は、東征大総督府軍監、徴士、制度取調専務、左院副議長(初代)、文部大輔(初代)、司法卿(初代)、参議などを順調に歴任したが、参議に転出した明治6年の征韓論争に敗れて下野した。 10月14日に行われた閣議で、朝鮮出兵を巡る征韓論問題が議題に上り、江藤は西郷隆盛の意見を支持したが、この政局の …
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