―孝明天皇崩御(1)― 慶応2年(皇紀2526年 西暦1866年)12月25日に崩御された孝明天皇を巡っては、様々な疑惑や評価がされているが、弘化3年(皇紀2506年 西暦1846年)2月13日に践祚されて以来という、我が国の価値観が大きく揺れ動いた奔流のような歳月を、御簾の内から眺められただけでなく、朝幕の力関係の変化にも大いに関与された。 その割には、崩御に関する詳述は驚くほど少なく、殊に崩御直後の記述はそれまでの克明さと比較すると、疑いを持たざるを得ないほどである。 「禁門の変」を経て「長州征伐」へと進む様は、長州と会津・薩摩の私怨(「会奸薩賊」)との評論が主流だが、その分析だけ …
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