・平岡円四郎(元治元年6月16日 京都町奉行組与力長屋近く) 若い頃より「聡明」の誉高く、その才を認められた徳川慶喜の側用人であったが、その分勤王の志士からは付け狙われ、在京水戸浪士の江幡広光・林忠五郎らとの乱刀の中闘死した。 この月の5日に起きたばかりの「池田屋騒動」の報復に、長州藩兵が大挙して上洛するとの風聞が流れ、「天誅」の貼り紙が洛中の至る処に貼られていた。 その世相を反映して、勤王・佐幕の対峙は一触即発の極点に達し、水戸藩内でも藩論が真っ二つに分かれていた。 熱心な長州膺懲論者でもあったので、水戸本圀寺党の連中を刺激し、43歳の生涯を閉じてしまった。 渋沢栄一は、『平岡が水 …
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