・足利三代木像梟首事件(文久3年2月22日 賀茂川三条河原) 「和宮降嫁」(昨年11月27日・12月4日に掲載)の条件でもあった攘夷が一向に進まない(当時の幕府にはそれだけの能力はなかった)ことに痺れを切らせた京が、再三に亘り三条・姉小路らを東下させた。(文久2年11月) そのような鬱憤は尊攘派志士にも及び、久坂玄瑞らからの催促に耐えかねた急進派公卿たちが、文久3年2月11日夜10時頃、東本願寺の一橋慶喜のもとへと押しかけ、『攘夷期限を定めるまで、一歩も動かない』と座り込み戦術にでた。 将軍家茂の上洛を控えた前哨戦でもあったのだが、2月22日夜洛西の等持院(足利家菩提寺)に安置されていた …
この続きは、ロンダンを定期購読頂くことで閲覧が可能です。
価格:月額1100円(税込)
ログインして閲覧する 会員登録して購入する