文久2年(皇紀2522年 西暦1862年)1月15日は、「上元の祝日」(この日に小豆粥を食べると災いを避けられるとされる。小正月)であり、老中・安藤信正は将軍家に祝言を申し述べる為の出邸途中、坂下門外で変名した水戸藩の、細谷忠齋(平山兵助)・吉野政之助(黒澤五郎)・浅田儀助(小田彦次郎)・豊原邦之助(川本杜太郎)・相田千之丞(高畠萬蔵)・三島三郎(河野顕三)ら6人の襲撃を受けた。(内は、本名) このほかに、内田萬之助(河邊治右衛門)も加わる予定であったが、時間に遅れたため現場に近寄ることができず、 有備館に桂小五郎を訪ね自刃したという。 桜田門外の変に比べ安藤は傷を負ったものゝ(その傷が臀 …
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