昭和20年11月9日、芝浦の桟橋からランチ(launch:艦載の大型ボート)に乗せられた近衛公は、沖に停泊していた揚陸指揮艦「アンコン」(13,000t)に半ば連行された。 秘書であった牛場友彦が通訳を兼ねて同行したが、艦長室では戦略爆撃団の団長のポール・ニッツェが構えており、ウクライナ生まれのマルキシストのポール・バラン(都留重人のハーバード大学時代の先輩)が“ Mr.Konoe”とロシア訛りの英語で尋問を始めた。(牛場友彦氏の「風にそよぐ近衛」より、このアンコン号の部分は引用) まず最初に持ち出してきたのは、昭和16年4月30日に首相であった近衛公(第二次近衛内閣)がアメリカ政府に対し平和 …
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