『東条は日米開戦論者である。このことは陛下も木戸内大臣も知っているのに、木戸がなぜ開戦論者の東条を後継内閣の首班に推せんし、天皇陛下がなぜこれを御採用になったか、その理由が私にはわからない。』は、東久邇宮が東条首相の出現に驚き、日記に記したものだ。対米協調派でおられた皇族軍人の東久邇宮稔彦王を首班に推す声は小さくなかったが、木戸内大臣の推挙により昭和天皇の承認を取り付けてしまった。 (その5)で述べた10月16日(午前)の天皇への拝謁(約50分間)と、10月17日の重臣会議での「独り舞台」(発言率49.38%)を結びつけて考えるのは暴論だろうか?異論はない筈の東条英機首相誕生の経緯を、改めて時 …
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