【井澗誠氏(いたに・まこと)】 白浜生まれ白浜育ち。大学卒業後は約20年、旅行・観光業界で勤め29ヵ国を訪問。その後、学習塾を経営。 平成23年、地域振興事業の在り方をめぐり、町政が混乱。平成24年、町長辞任に伴い出馬を決意。元町議らを破り初当選。2度の再選を経て現在に至る。 【ワーケーション 誘致への経緯】「白浜町は人口2万4000人で、小・中学校しかないんです。高校は和歌山市へ。卒業後の県外進学率は40年以上日本一。他府県へ行ったきり帰って来ませんから、人口は減る一方です」 白浜生まれ白浜育ちの井澗氏。他府県へ飛び出した一人だからこそ、地元での就職活動の困難さ、限られた選択肢を痛感している …
【人間関係が希薄な時代に】「この業界には悪徳業者も結構いてね。無理な営業が横行しているせいで、迷惑してるんですよ」 ㈲アールシィー建装では、飛び込み営業は絶対にしない方針を執っている。 看板を出したり広告を打つこともあるが、何より人の伝(つ)てを大切にし、ひとつひとつの現場に臨んでいるそうだ。「するとね、職人の働きぶりを見た近所の人が〝うちもお願い〟って声をかけてくれる事もあるんです」 〝最高の技術と親切・丁寧な対応〟をモットーに掲げる同社。近隣住民は、しっかりと見ているのだ。 【塗装職人の矜持】 同業他社との違いはあるのだろうか。「出来ることは出来る。出来ないことは出来ない、とハッキリ言う点 …
【京の老舗 その歴史】 今年創業76年目を迎えた㈱吉村建築事務所は、初代・吉村栄介氏(故人)が興した老舗企業だ。京都で老舗と呼べる同業他社は、数えるほどである。 初代のカリスマ性に惹かれ人材が集い、2代目(代表取締役会長・吉村光弘氏)が資産と人材を活用。今日まで看板を掲げ続けてきた。 【変化の時】 しかしいつまでも歴史・ネームバリューにあぐらをかく訳にはいかない。社の更なる発展のため、4代目社長の座には外からの人材を起用する決断がなされた。 そのバトンを受け継いだのが、森田一徳氏である。「就任後、今までの取引先を洗い出しました。すると、ゼネコンからの仕事が多くなかったんです。これには驚きました …
【技術を社会に笑顔をあなたに】「ゼレンスキーさん来日時のコメントには感動したね」 応接室に通され、挨拶が終わるや否や、奥田氏は言葉を紡いだ。 ゼレンスキー氏の〝広島を復興させた日本の技術力に期待〟の言葉に、感銘を受けたのだそうだ。「われわれ土建屋が世界中から集まって、ウクライナの復興を応援するんですよ。そのとき、当社は何ができるのかを考えてみました」 恐らく、中小企業は現地入りが難しい。それでは、どうするか。その構想を語り始めた。「日本の技術を送ります」 来日している留学生や避難民の帰国が叶うその日まで、同社で働きながら技術を学び、復興に役立ててもらう。 技術を伝えるためには、語学力が必要だ。 …
【未来を想い、信頼を築く】 「元気・丁寧・人間力」をモットーに掲げる㈱JUNKI建設(吹田営業所/大阪府吹田市山田東2丁目10-8)は、今年で創業10周年を迎える。「若い頃は若いなりの欲もありましたよ。でも、仲間が増えていく中で、今の考え方へと変ってきました」 昔の自分は売り上げが上がれば自分は満足できると思っていたが、今はもっと大きなものを見ている。会社が大きくなるにつれ、ひとつひとつ紐づけて、ひとりひとりを惹きつけていく企業としての責任を感じるようになったそうだ。 【家族への感謝】 独立した瞬間から、社長業の大変さが身に染みたという。下請け業者から反故にされたり、経済的な苦しさもあった。そ …