新作映画が出るたびに、どの映画を観ようか悩む人も多いのでは?シリーズ「シネマティック・ロンダン」では、フリーアナウンサーであり、映画パーソナリティーでもある津田なおみ氏による、おすすめ映画のレビューをいち早くご紹介します♪
フランスのリヨンでリュミエール兄弟が発明した「シネマトグラフ」は、京都モスリン紡績株式会社の監査役で、後に大阪商工会議所会頭になる、34歳の稲畑勝太郎と共に日本に上陸しました。 彼は帰国早々、事業のモスリン紡績の整備をすすめながら、同時に「シネマトグラフ」の公開に向けて動きました。しかし、光源のカーボンが飛んでしまうなどの危険性があり、稲畑は、まず「四条河原の野天において試写会を開くことに決し」(稲畑勝太郎君伝)、明治30年2月に実行しています。前年12月には、「シネマトグラフ」は日本に上陸をしていたはずですが、なぜ2ヶ月もずれ込んだかというと、明治30年に入ってすぐの1月に、明治天皇のお母様 …
明治29年、フランス郵船ナタル号に、スクリーンに映像を投影する「シネマトグラフ」の日本に上陸する第1号機が乗船していました。日本に映画を輸入した、京都モスリン紡績株式会社、監査役の34歳の若い企業家、稲畑勝太郎と共に。 前回の「シネマテックロンダン」でお伝えしたように、「シネマトグラフ」を発明したリュミエール兄弟の兄、オーギュストと、京都から染色を学びにフランスに渡った稲畑が同窓だったことから始まった映画の歴史。稲畑は、オーギュストからシネマトグラフの興行権を譲り受けることになりました。私たちが現在、映画と呼んでいるものが発明された1年後、「シネマトグラフ」は、明治29(1896) …
誰かが意図を持って行動することが、歴史として残されていく。 私は日頃から、そう思っています。誰かが何らかの意図を持ったからこそ、そこに光があたり歴史として残っていく。映画の歴史を見るとき、いつもそう感じます。 映画の始まりは、神戸にやってきたエジソンの「キネトスコープ」と、もう一つ「シネマトグラフ」(こちらが今の映画鑑賞スタイルの原点)と言われています。 シネマトグラフは、明治28(1895)年の12月28日、パリで初めて一般上映が行われ、そこから1年後の明治30(1897)年初頭、日本に輸入されてきまし …
映画は、2つの原点があるというのを前回にお伝えしました。ひとつは、エジソンが発明した「キネトスコープ」。もうひとつは、リュミエール兄弟が発明した「シネマトグラフ」です。この2つは、それぞれ、別々のルートで、ほぼ同時期に日本にやって来ました。最初に海を越えたのがエジソンの「キネトスコープ」。しかも、それは神戸の地に到着したのでした。 アメリカの発明王、エジソンが考案した「キネトスコープ」は、明治29(1896)年の秋、神戸の港に降り立ちました。高さ1メートル強の木製の長方形の箱の中で、フィルムが1秒間に30~40コマほど進み、連続的に映し出される映像を、のぞき窓から見るといったものでした。今の …
令和に入り、心新たな日々を送られている方も多いと思いでしょう。 はじまりのエネルギーに満ちあふれ、新しいスタートや未知の領域を開拓するなど、新しいものごとを創造したくなりますね。「映画」と言う文化も、発明した人物にとっては未知の領域への挑戦でした。 そこで、この「シネマテック・ロンダン」では、令和に入り、新しい時代を迎えた今こそ、映画の歴史について知っていただきたいと思い、シリーズ『日本映画の始め』として、皆さんにご紹介していきます。 日本映画を語る前に、映画がいつどこで誰が発明したのか。 そこからご紹介しなければなりませんね。 一般的に、世界で初めて映画が上映されたのは、1895年(日本で …