フランスのリヨンでリュミエール兄弟が発明した「シネマトグラフ」は、京都モスリン紡績株式会社の監査役で、後に大阪商工会議所会頭になる、34歳の稲畑勝太郎と共に日本に上陸しました。 彼は帰国早々、事業のモスリン紡績の整備をすすめながら、同時に「シネマトグラフ」の公開に向けて動きました。しかし、光源のカーボンが飛んでしまうなどの危険性があり、稲畑は、まず「四条河原の野天において試写会を開くことに決し」(稲畑勝太郎君伝)、明治30年2月に実行しています。前年12月には、「シネマトグラフ」は日本に上陸をしていたはずですが、なぜ2ヶ月もずれ込んだかというと、明治30年に入ってすぐの1月に、明治天皇のお母様 …
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