明治29年、フランス郵船ナタル号に、スクリーンに映像を投影する「シネマトグラフ」の日本に上陸する第1号機が乗船していました。日本に映画を輸入した、京都モスリン紡績株式会社、監査役の34歳の若い企業家、稲畑勝太郎と共に。 前回の「シネマテックロンダン」でお伝えしたように、「シネマトグラフ」を発明したリュミエール兄弟の兄、オーギュストと、京都から染色を学びにフランスに渡った稲畑が同窓だったことから始まった映画の歴史。稲畑は、オーギュストからシネマトグラフの興行権を譲り受けることになりました。私たちが現在、映画と呼んでいるものが発明された1年後、「シネマトグラフ」は、明治29(1896) …
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