日本の12月といえば、少し前までは『忠臣蔵』でした。大河ドラマ並みの華やかさで豪華俳優が演じる四十七士の討ち入りを、感動しながら見ていました。しかし、ご存じでしょうか? 通常、「赤穂浪士」という呼ぶのが一般的ですが、地元、赤穂では「赤穂義士」と呼ぶのです。 江戸期の文書には「赤穂浪人」の表記があり、彼らは罪人という扱いでもありました。 しかし、討ち入り翌年の元禄16年、儒学者の室鳩巣は、主君への忠義を評価して四十七士を「義人」と呼び、「赤穂義人録」を残しました。江戸時代の庶民に人気だった浮世絵などでは「義士」「義臣」とも表現。その後、明治天皇が四十七士の墓に勅使を送り、行動をたたえたことも「義 …
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