昨年、入賞しましたアパ論文、「大日本帝国陸海軍は人命軽視の軍隊だったのか」の中から「神風特別攻撃隊」の章の部分を元に、加筆修正したものを挙げさせて頂きます。
Ⅰ.はじめに
特攻は、兵隊の命を鉄砲の弾のように使い捨てるという、人間が考えつくこととは思えない非情な戦術である。このような狂気としか言いようのない戦術によって、どれほど、未来ある若者たちの命が失われたことだろう。多くの国民が、これに近いような認識を持っていると思います。
特攻は人命軽視の最たるものとされ、絶好のプロパガンダの道具にされてきました。 しかし、これほど単純に切り捨てていいのでしょうか。私なりの見解を述べさせていただきます。
Ⅱ.特攻、わが国を救う。
まず最初に何より強調しておきたいのは特攻によって我国が救われた事です。特攻が無ければ、今の日本はありません。特攻は、アメリカ兵を恐怖で震え上がらせました。
なぜか。
一つは、最後までパイロットが操縦しているため、ほぼ100%命中するという事です。ハルゼー提督は「敵機は一〇〇パーセント撃墜しなければ危険だ」とその恐怖を指摘しています。通常の爆撃や魚雷攻撃であれば、艦を操作してかわしたりできますが、特攻に対してはそれができません。迎撃戦闘機が撃ち落とすか、対空砲火で撃ち落とすしかありませんでした。戦闘機の迎撃を潜(くぐ)って、やってきた特攻機を100%撃ち落とさなければ、こっちがやられる。乗艦していたアメリカ兵は、大きなプレッシャーがかかっていました。沖縄では上級指揮官ですら緊張感は耐えられないくらい大きなものとなっており、ニミッツは前例のない戦闘継続中の艦隊の上級指揮官らの交代を行いました。
例えば、第58任務部隊の指揮官ミッチャーは、相次ぐ神風特攻隊の攻撃に、大きな動揺を受けていました。そのせいで、ミッチャーは体重が45キロ以下とガリガリになるほど心身を消耗し、もはや周囲の助けなしでは舷側の梯子を登ることすらできなくなっていました。ハルゼーは、「歩く骸骨のよう」なミッチャーの姿にショックを受けた、と語っています。第58任務部隊の指揮はマケインに交代しました。
もう一つは、何よりも、そこまでしてでも祖国を守ろうとした日本兵の愛国心に恐れを成したのだと思います。
特攻が戦果を上げ、アメリカ兵を恐怖のどん底に陥れた事は、徹底的に隠蔽されました。ベイツ海軍中将は「日本の奴らに、神風特攻がこのように多くの人々を殺し、多くの艦を撃破していることを寸時も考えさせてはならない。」と述べています。そして戦後の今も反日マスコミによって日本国民に極力知られないように隠蔽されているのです。
Ⅲ.特攻、誕生。
昭和19年6月、マリアナ沖海戦で惨敗した我軍の航空兵力は、二度とアメリカに挑戦することができなくなってしまいました。だからと言って、反日左翼の言うように戦争を止めるわけにはいきません。そんな事をすれば、我国は、アメリカ、ソ連、イギリス、支那によってバラバラに解体され、日本民族は滅亡していたでしょう。乾坤一擲、戦局を挽回し少しでも有利な条件で講和する事を目指さなくてはいけません。でなければ、それまでに戦死した英霊たちに報いる事もできません。
我々が経済活動をする時に費用対効果を考えます。それと同じように、軍人は損害対戦果を考えなくてはなりません。そうなった時、通常攻撃では、悪戯に戦死者を増やすばかりで、飛行機も損失し、損害ばかりが大きく戦果は見込めません。究極の選択として、特攻が採用されました。「統率の外道」と知りながら苦渋の決断をしたのだと思います。万策尽きた指揮官や参謀達に他に選択肢があったのでしょうか。
特攻によって我国が救われた事は間違いありません。前に述べたように戦果は大きく、だから継続されたのです。特攻によって救われた我国に生かされている私達が、特攻を命令した指揮官や参謀達を非難できるのでしょうか。単純に「人命軽視」と言って、批判できるのでしょうか。私にはできません。彼らがやろうとしていた事は間違いだったのでしょうか。そうは思えません。確かに敵前逃亡した卑怯者の指揮官や参謀たちも居たでしょう。しかし多くのまともな指揮官や参謀たちもまた必死になって祖国日本を救うために戦ったのだと思います。確かに通常攻撃で戦果を挙げた部隊もありました。「彗星」艦爆や水上機「瑞雲」を使って、ゲリラ的に単機で偵察爆撃を行い、空母「プリンストン」を一撃で撃沈するなど、誠に素晴らしい戦果だったと思います。
しかし、残念ながら、それだけでは戦局挽回には至りませんでした。戦局挽回のためには、なにがしらの大きな戦果を挙げるものが必要でした。それが特攻でした。
動画を以下のURLからご覧ください。
この動画は、Youtubeから拾ってきました。アメリカの Discovery Channel が制作したものです。
この番組の中で、「不本意なまま特攻隊員となった者もいました。」「望まぬ死もあったのです。」「しかし多くはその義務を果たすため武士道精神を貫き人生を終えていきました。」と放送しています。
この番組は、当然アメリカ目線で描かれています。しかし、我国のNHK、朝日を筆頭とする反日マスコミより、ずっと客観的に見ています。国民の皆様に、一刻も早く如何に日本のマスコミがひどいか気付いてほしいものです。
Ⅳ.大西中将。
最初に特攻を命令した大西中将は、「特攻は統率の外道である。しかし、特攻により、敵を追い落とすことができれば、7分3分の講和ができる。ここに信じてよいことがある。いかなる形の講和になろうとも、日本民族がまさに滅びんとする時に当たって、身をもって防いだという若者達がいたという歴史が残る限り、500年後、1000年後の世に、必ずや日本民族は再興するであろう」と述べています。
大西中将は敗戦時に割腹して自決されましたが、戦死した隊員に向け、次のような遺言を残しています。
「特攻隊の英霊に曰す/善く戦ひたり深謝す/最後の勝利を信じつゝ肉弾として散華せり/然れ共其信念は遂に達成し得ざるに至れり/吾死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝せんとす」
文脈を理解すればわかりますが、特攻を命令した事に責任を取ったのではなく、勝てなかった事に責任を取ったのです。特攻を命令した事に責任を取ったのであれば、「特攻は間違いだった。」という事になります。それでは、特攻隊の英霊に申し訳が立ちません。
Ⅴ.エピソード。
上の写真は、昭和20年5月14日、富安俊助中尉搭乗の零戦が空母エンタープライズに突入した時の写真です。
富安中尉機は集中砲火を避けて雲に隠れ、時々雲から顔を出してエンタープライズの位置を確認しつつ攻撃の機会を伺っていました。
そして午前6時56分、エンタープライズに向かって突撃していきました。
エンタープライズは富安機を20分前からレーダーで認識していましたが、富安機が雲に隠れるなどしたために、効果的な反撃が出来ずにいました。エンタープライズが回頭し艦尾を向けたときに富安機は満を持して緩降下攻撃を実施。エンタープライズは右舷後方から降下してくる富安機に対して、右舷回頭して集中砲火を行ないましたが、富安機は機体を横滑りさせるなどして回避、オーバーシュートする寸前に艦の真上で180度左回転し、背面飛行の状態から急降下し、前部エレベーターの後部に突入しました。
前部エレベーターは爆発によって120m上空まで吹き上げられ、エンタープライズは大破炎上しました。
しかし、エンタープライズのダメージコントロール班は即座に行動し、17分で火災の延焼を食い止めて誘爆を阻止しました。そのダメージコントロール能力の高さにミッチャー提督はエンタープライズのダメージコントロール班が「かつて見た中で最高の優秀さ」であったと賛辞を送っています。
富安中尉の遺体はエレベーターホールの下で発見され、アメリカ兵と同じように丁重に水葬されました。彼は海軍関係者から「これまで日本海軍が3年かかってもできなかったことを、たった一人で一瞬の間にやってのけた。」と称賛の言葉を受けたそうです。またこの時の機体の破片は後に、富安中尉の遺族に返還されたそうです。
ロンダン-我が国を想う