お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

【城の歴史9】前九年・後三年合戦と城柵の変化

蝦夷(えみし)の英雄・阿弖流為(アテルイ)が降伏した奈良時代の終わりに、彼の本拠地だった胆沢(いさわ)には、征夷大将軍の坂上田村麻呂によって胆沢城が築かれました。胆沢城は、およそ150年にわたり鎮守府(ちんじゅふ)として機能した、朝廷にとって重要な政庁を置いた城です。 安倍頼時(あべのよりとき)は、平安時代の中期に陸奥国奥六郡(現在の岩手県奥州市から盛岡市にかけての地域)を治めた俘囚(ふしゅう)の長です。朝廷に服属した陸奥国や出羽国(現在の秋田県)の蝦夷(えみし)を「俘囚」と呼びます。頼時は俘囚たちをまとめた長であり、胆沢城鎮守府の在庁官人として朝廷に仕えました。 1051年(永承6)になると …

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