7世紀の飛鳥時代、当時の日本は「倭国(わこく)」と呼ばれる国でした。百済の復興支援をする倭国は、天智天皇2年(663)の「白村江(はくそんこう)の戦い」で唐・新羅連合軍に大敗します。(白村江の戦いについては、次回詳しくご紹介します) 敗戦したことで、倭国は唐や新羅からの侵攻の脅威にさらされました。このとき、大和朝廷(ヤマト朝廷とも)が倭国防衛のために築いた城郭が「古代山城(こだいさんじょう)」です。 『日本書紀』によると、白村江の戦いの翌年から、対馬・壱岐・筑紫に防人(さきもり)と烽(とぶひ)を設置し、水城(みずき)を築き、長門城・大野城・基肄城などいくつもの山城を築いたと記載されています。 …
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