お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

【城の歴史5】飛鳥時代の古代山城

7世紀の飛鳥時代、当時の日本は「倭国(わこく)」と呼ばれる国でした。百済の復興支援をする倭国は、天智天皇2年(663)の「白村江(はくそんこう)の戦い」で唐・新羅連合軍に大敗します。(白村江の戦いについては、次回詳しくご紹介します) 敗戦したことで、倭国は唐や新羅からの侵攻の脅威にさらされました。このとき、大和朝廷(ヤマト朝廷とも)が倭国防衛のために築いた城郭が「古代山城(こだいさんじょう)」です。 『日本書紀』によると、白村江の戦いの翌年から、対馬・壱岐・筑紫に防人(さきもり)と烽(とぶひ)を設置し、水城(みずき)を築き、長門城・大野城・基肄城などいくつもの山城を築いたと記載されています。 …

この続きは、ロンダンを定期購読頂くことで閲覧が可能です。

価格:月額1100円(税込)

ログインして閲覧する

お城カタリストの城語り 
過去記事一覧

テキストのコピーはできません。