お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

【城の歴史3】減少した環濠集落と増加した古墳の理由

弥生時代、農耕生活がすすむ中、環濠集落を形成しながら日本の各地には首長(リーダー)を中心とする社会が生まれました。中国の歴史書『漢書』地理志によると、紀元前1世紀前後の日本は「倭(わ)」と呼ばれ、100あまりの国々にわかれていたと伝わります。 2〜3世紀の弥生時代後期になると、徐々に環濠集落の数は減少しはじめ、ムラは統合されクニに展開してゆきます。30か国を治める連合国家(邪馬台国)が倭国の乱を治め(『魏志』倭人伝より)、小規模な古墳が造られるようになりました。 その後の古墳時代には、より大規模な古墳が各地に造られるようになりました。この古墳が盛んに造られた3世紀後半から7世紀を古墳時代と言い …

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