全日本作法会で20年以上、作法に携わり、企業や大学にてマナー研修を実施している筆者が送る日本の礼儀・作法に関するチャンネル。 一口に礼儀・作法といってもそこに隠されている、込められている日本の心、文化について発信していきます。
明治三年(1870年)日本で初めての靴工場「伊勢勝造靴場」が開業されました。当時、軍用の靴が日本にはなく海外のものを輸入していました。しかし、日本人の足には合わず、軍人が商人に靴の生産を命じたことで、日本人に合わせた靴が製造されることになったのです。 現代では靴が一般的ですが、日本においての靴の歴史は浅いのです。しかし、古代に靴のような履物がなかったということではなさそうです。 日本には弥生時代(約2300年前)から履物があったとされています。ただ、庶民は長い時代裸足で過ごしていたようですし、履物は一定以上の身分の人が使用していたと思われます。 奈良時代から平安時代、公家が使用していた履 …
今の時代、五月と云えば、新緑が美しく風も爽やかで、一年の中でも最も気持ち良い月です。五月は別名「さつき」とも云われています。旧暦で五月は新暦の六月頃。そう、梅雨の時期となります。 「さつき」というのは、田植えの時期という意味です。「さ」は田の神を表すと伝えられてきました。「五月晴れ」は梅雨の合間の晴天日を、「五月雨(さみだれ)」は梅雨の別名でもあります。 雨の多い日本には多くの「雨(あめ)」があります。雨の名前がたくさんあるのです。「雨(あめ)」の語源は古事記の最初に出てくる「天地(あめつち)開けしとき」の「天(あめ)」、または「天水(あまみず)」ではないかと伝えられています。いずれにして …
五月五日といえば、端午の節供です。そのことは広く知られています。端午の節供は、五節供の三番目。五節供とは、1月7日人日の節供、3月3日上巳の節供、5月5日端午の節供、7月7日七夕、9月9日重陽の節供です。古代中国から伝わった慣習と、もともと日本にあった習俗が合わさり、今に至ります。五節供として正式に制定されたのは江戸時代であり、明治になり改暦されてからは、季節が合致しないので廃止されています。 さて、端午の節供ですが、端午というのは「最初の午の日」という意味があります。古代中国の暦では、十二支の寅から一月が始まり、五月は午の月となります。「端」は始まりという意味があり、「端午」とは五月の最初 …
卯月というのは四月のことです。卯の花が咲く時期なので、和風名月で四月を「卯月」と称されます。卯月八日は四月八日のことです。四月八日と言えば、お釈迦様の誕生日として広く知られています。紀元前5世紀頃、現代のネパール、ルンビニでゴータマ・シッダールタ、後に「釈迦」と呼ばれる仏教の開祖は誕生しました。誕生日は、インド暦で2月25日でしたが、中国に渡ったとき暦のギャップを換算して4月8日とされました。 お釈迦様の誕生日の行事を「灌仏会」「仏生会」「降誕会」など云われています。草花で飾った小さなお堂「花御堂」に釈迦誕生仏を安置し、参詣に来た人たちは、釈迦誕生仏に甘茶をかけて拝みます。このお釈迦様の誕生 …
「暑さ寒さも彼岸まで」と云われるように、3月の彼岸時期になると、春の陽気に満ちてきます。彼岸は「雑節」の一つです。雑節とは五節供や二十四節気以外に、農業に携わる人々が季節の移り変わりをより的確に把握するために設けられた日本独自の暦です。 彼岸は一週間続きます。春分の日、秋分の日を中心に前後三日間、通して一週間を彼岸の期間です。初日を「彼岸の入り」、春分・秋分の日を「中日(ちゅうにち)」、最終日を「彼岸の明け」と呼びます。 彼岸、そのままの言葉通りなら、向こうの岸、という意味になります。こちらの岸である此岸(しがん)は「現生」となり、向こう岸は「あの世」を示しています。 もとはサンスクリット …