全日本作法会で20年以上、作法に携わり、企業や大学にてマナー研修を実施している筆者が送る日本の礼儀・作法に関するチャンネル。 一口に礼儀・作法といってもそこに隠されている、込められている日本の心、文化について発信していきます。
贈り物を交わす慣習は世界中で見受けられます。日本においては他国より、贈答が多くやり取りされているのではないでしょうか。前稿で記したのですが、八朔の「田の実の節供」のように収穫物は神、日本では大いなる自然、からの賜りものという考えが根底にあるがゆえに、感謝を込めて神様へ供えていました。「神饌(しんせん)」と呼ばれた供物はその後、仲間や友人、知人たちと「直会」として分け合い、飲食をともにしました。 それは、神様との縁を固くするだけでなく、親戚や地域の人たちなどお人との縁も密にする目的もあります。 贈答の起源は、このように自然への敬い、神への祈り、そして日々無事に過ごせる喜びを人々と分かち合うこ …
「節供」といえば、五節供(人日、上巳、端午、七夕、重陽の節供)を想像されることでしょう。五節供はいずれも陽の数字(奇数)が重なる月日で、遣唐使などによって日本に入ってきた古代中国の慣習が宮中に受け入られ、やがて武士社会から庶民に広がった慣習です。 五節供ほど一般に知られてはいませんが、地域や町村民による小さな節供と云われる行事があります。 そもそも「節供」とは何でしょうか。一年間で節目に当たる日(特定日)に特別な食物を神仏に供え、神様を迎えたり祖先の霊を祀ったりして、五穀豊穣の祈願や神霊との一体感を得ようとしたのです。 旧暦八月一日に農村地域で行われていた「田の実の節供」もその一つです …
日本の夏の風物詩の一つに「風鈴」があります。風鈴の起源は中国、あるいはインドと云われています。竹林に吊るされて、音のなり方で吉兆を占った「占風鐸(せんぷうたく)」でした。「鐸」とは銅や青銅で作られた大きな鈴のことです。これを僧侶たちが持ち帰り、寺院で仏堂の四隅や仏塔に吊るされ、「風鐸」と呼ばれるようになります。風鐸のガランと鳴る音は魔除けになると信じられていて、その音が聞こえる範囲に住む人々には災いが起こらないとされていたのです。8世紀初頭と思われる風鐸の破片が、奈良県明日香村の飛鳥寺から発見されています。現代でも、お寺の軒下に吊るされた風鐸を目にします。平安から鎌倉時代にかけては貴族の屋敷 …
七月七日は七夕(たなばた・しちせき)の節供です。七夕を「たなばた」と読むのはなぜでしょう。 七月七日、七夕の節供も古代中国から入ってきた慣習と、古来より日本にあった慣習が混ざり合わせられています。まず、古代中国の「星姫伝説」からご紹介しましょう。 天の川の西岸に美しい、機織りの名手である天帝の娘、織女(織姫)が住んでいました。 一方、東岸には、とてもよく働く牛使いの牽牛(彦星)が住んでおり、その働きぶりを見て、天帝は二人を結婚させました。織姫と彦星は一緒に生活するようになると、とても仲睦まじい夫婦になりました。しかし、毎日一緒に過ごして、それぞれの仕事をしなくなったのです。天帝はお怒りに …
令和四年の夏至は六月二十一日です。「夏至」とは二十四節気(一年を春夏秋冬の四つの季節に分け、それぞれをまた6つに分けたもの。立春が第1になる)の第10にあたります。北半球では、この日が一年の中で最も昼(日の出から日の入りまで)が長くなります。太陽黄経が90度のときで、天文学ではその瞬間を夏至とします。それを含む日を夏至日と云っており、冬至から半年後(182.62日)です。ただし、1年で日の出が最も早い日、日の入りが最も遅い日と夏至の日は一致しません。日本において、日の出が最も早い日は、夏至の1週間前であり、日の入りが最も遅い日は夏至の1週間後となります。 北欧では太陽の力が強くなる日でもあ …