【生年月日】 昭和25(1950)年4月27日(現在71歳) 【学歴】 甲南大学経済学部卒業 報徳学園高等学校卒業
現代のように情報が溢れた時代とは異なり、耳目の届く範囲の限られた江戸時代にあっては、黒船の所為で「たった四杯で夜の眠れず」の状態が如実に言い表していたのだろう。 そのことにしても、実際に「黒船」を目の当たりにしたのはほんの一握りであり、多くの人々は人づてに聞いたに過ぎなかった筈だ。 その明治維新の大義は、「天朝への恭順」であり、王政復古により神武創業という肇国の原点に立ち返り、列強の侵略圧力を撥ね退ける堂々たる国家になることであった。 しかし、新政府(薩長藩閥政府)は欧米に諂いながら、その外国文化の移入を急ぐあまり、前稿までの「戊辰戦争」を見ても分かるように、我が国民族が長い歳月の蓄積 …
「維新三傑」と言われる西郷隆盛翁は、何者だったのだろう? 西南戦争により逆賊扱いとされたが、明治22年(1889年)2月11日に、褫奪されていた正三位を追贈されて名誉回復が行われた。そして、1902には、西郷の遺児寅太郎が隆盛の維新の功で侯爵に叙され、華族に列した。 しかし、敢えて「三傑」とまで呼ばれた立役者が、その最期には「賊軍の大将」としてあっさりと葬り去られた生涯への鎮魂歌が、今も衰えない西郷人気の原点であり、秘密とは言えないだろうか? 明治6年(1873年)11月10日、鹿児島に帰着し、以来、大半を武村の自宅で過ごしたときの様子を、九十八歳まで存命した温泉宿の女将福村ハツが昭和 …