「祖国根元在国史令明」

大東亜戦争(第二次世界大戦)から、日本が奪われ続けてきたもの。
このチャンネルでは筆者が現代の日本人に警鐘を鳴らすため、歴史に埋もれている事柄から読み取ることのできる諸外国の動向、
現代の日本人に必要なものとはについて発信していきます。

日本が失いかけているもの(その3)

前回の最後に列挙させて頂いたアメリカの弛まざる努力、言い換えれば排日と内政干渉によって、日本民族が「鬼畜米英」というスローガンを確立したことは、当時を生きていない私にも容易に想像ができる。 「ABCD包囲網」や「対日石油 …

前回の最後に列挙させて頂いたアメリカの弛まざる努力、言い換えれば排日と内政干渉によって、日本民族が「鬼畜米英」というスローガンを確立したことは、当時を生きていない私にも容易に想像ができる。

「ABCD包囲網」や「対日石油禁輸」、ハル・ノート手交がF・D・ルーズベルトにとって単なる仕上げでしかなかったことは、年表を丹念に振り返れば明白だし、今や定説ともなっている。

もちろん、これら一連の対日政策の延長線上に「東京裁判」があり、厄介なことに昭和27年4月28日まで及んだ「占領の置き土産」は現在に至っても健在であり、あろうことか後生大事にGHQのプログラムを守り続け、「鬼畜米英」に迎合し続けることが有意義な処世術と考える輩さえ存在する。

終戦以降の対日姿勢の主なものも更に挙げてみよう。

1946年  日本国憲法公布

1948年  東京裁判判決(A級戦犯7名処刑)

1950年  (マッカーシー旋風)

1951年  マッカーサー「自衛戦争」証言

1952年  サンフランシスコ講和条約発効

1971年  ニクソンショック

1985年  プラザ合意

1988年  (~1999年頃)スーパー301条

1989年  (~1992年)日米構造協議

1993年  (~1999年頃)日米包括協議

1994年  (~現在)年次改革要望書

1999年  国際建築家連盟世界大会(於:北京)

2007年  「従軍慰安婦」非難決議(下院)

2010年  (~現在)TPP交渉参加協議

もちろん、GHQ占領下での日本解体計画とその実行施策は膨大な数と時間をかけたものだが、とてもここで与えられた紙幅に収め切れるものではなく、本稿の論点からも外れてしまうので包含した上で省かせて頂く。

歴史に明確に残されている史実からだけでも、これだけの「大きなお世話」や主権侵害を160年余の歳月の中で、アメリカは日本に浴びせ続けてきたし、主権回復したと云われる1952(昭和27)年以降もその干渉は決して収束していない。

祖国を愛し同胞を愛でる精神があれば、主権侵害に対しては毅然と立ち上がり主張をおこなう筈だが、つい最近までは「祖国愛」などと発言すれば『右翼!』と罵倒されるか、鼻で笑われるような風潮であったので、『余計なことに口を挟まなくても生きてゆくことに不自由はない。』との生き方が賢いと持て囃され、はみ出そうとすれば眉を顰められるのがオチだった。

そう、何も(表面だけを見れば)静かな湖面に石礫を投げて波紋を起こす必要はないのだから、アメリカ様の仰る通りにご機嫌を損ねないように暮らしてゆけばいい…、と云うような、負け犬根性に満ちた国民性が沁み付いてしまっているのかも知れない。

確かに、甲種合格の逞しい日本男児は海に山に屍と果て、更には生き残っていても公職をも追放されたのだから、日本の戦後で指導的立場に立ったのは軍隊からはじき出された乙種丙種合格以下のひ弱な日本人、誤解を恐れずに云えば銃後の守りを担った役人と戦場に行かなかった学者たちの中で、要領のよい人々が大勢を占めてしまったのだから、止むを得ないのかも知れない。

学校の式典で、国旗を掲揚し国歌を斉唱することの是非がニュースになるような馬鹿げた現状があり、国民の税金で運営している国立大学で国歌を斉唱しないことがあたりまえとされている奇妙な国が、戦後の日本だ。

日本選手の活躍が目覚ましかったリオ五輪で、表彰台の一番高いところで「君が代」を大声で歌う金メダリストの姿に、競技での興奮以上に胸を熱くした人は少なくなかっただろう。

日本民族としての誇りと祖国愛を失ったかのような姿は、アフリカの大地で人生を奪われ、故郷とはかけ離れた土地で奴隷としての生涯を強制された人々とその子孫が嫌悪感を込めて語る、『奴隷根性』に共通するのではないだろうか?

アメリカのわが国に対する干渉は、見てきた通り、これからも終わることはないだろう。

外交は、あくまで国対国の利益のせめぎあいであるのだから、交渉・主張は永遠に続くだろう。

しかし、内政干渉・主権侵害となれば話は別だ。

更に見落としてはいけないと思うのは、それらの内政干渉・主権侵害が彼らの有色人種に対する思い上がりに過ぎない優越感に根差しているからであり、どれほどの時間が経過し世界の状況や価値観が変化しようともその不治の病が癒えることはないということだ。

先述のアレックス・ヘイリーの「ルーツ」(Roots)の旧作TV

映画の中で、自由を求めて逃げた為に、奴隷監視に足先を斧で切られた主人公のクンタキンテが、松葉杖でやっと立ち上がりながら『走れるようになってやる!』と叫ぶシーンが、今も強く印象に残っている。(原作では別設定)

「人生」を奪われたアフリカ人が足先を無くしても『走る』意欲を失わないのであれば、日本民族の「誇り」を消し去ろうとしてきた力に対して、日本民族が叫び声をあげることに遠慮など要らないし、「誇り」を失った瞬間に日本という国そのものが地球上から消え去ることになってしまう。

日本が失いかけているものを、昭和25年生まれの私は見過ごせない。

                                完

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