「自己家畜化(Self -domestication)」は、1930年代にドイツの人類学者の間で生じた概念である。「家畜」とは今までも述べてきたように、人間に飼育され、繁殖と成長のパターンを人為的にコントロールされている動物のことを指す。鶏卵工場を思い浮かべていただくと、ニワトリは温度調節された季節の変化のない鶏舎の中の狭いゲージの中で、栄養価を計算され尽くした餌と水を供され、鶏肉用はより早く、より大きく成長するようにと、また卵を産むことをヒトに求められたニワトリは、より栄養価の高い鶏卵をより多く産卵するためにと飼育される。 この家畜と同様に、ヒトも「自己家畜化」された動物であるという概念が「 …
搾乳という技術が雌の家畜にとって肉資源以外の恩恵を人にもたらしたのであるが、雄の家畜は繁殖や交尾に必要と思われる以外は、成長が終わった一歳半ごろに間引きされ肉資源となることが効率的であると先述した。しかし、それ以外に家畜を人との関係性において重要であると判断して用いられた技術が、去勢である。 遊牧民にとっては、日頃からナイフや石などの使用し、屠殺を含め肉を捌くことに慣れているから、去勢の技術を習得することも容易(たやす)いことであったであろう。 羊の場合、先述したが雄の大半は間引かれるが、雄のうちで人に対して柔順である雄は2年目まで残され、そのうちから選ばれた雄が誘導羊として去勢される。 …
現在では食卓に牛乳が並んだり、チーズやヨーグルトなどの乳製品を人が摂取することは、ごく当たり前のことであるばかりか、乳飲料や乳製品は美容健康のために推奨されるほどの食品となっている。 搾乳し乳製品を食する以前においての家畜は、食資源としての目的は狩猟の時となんら変化のない肉を取得するためでしかなかったが、家畜から搾乳する技術を得て、その乳を摂取することを可能にした時に、農耕地や定着地を離れて家畜の草を求めて行動をともにするという遊牧民は誕生した。 搾乳と乳製品の摂取は、単に家畜を殺さずともタンパク資源を獲得するというだけでなく、倫理上の変化をも生み出した可能性がある。それまでは動物性タンパクの …
野生動物の家畜化がいかに開始されたのかとして2つの仮説を京都大学名誉教授の谷泰氏は著書「牧夫の誕生」で述べている。一つは、「追い込み猟仮説」であり、もう一つは「群れの人付け仮説」である。 「追い込み猟仮説」とは、狩猟民もしくは農耕民が野生動物を追い込み猟で柵内に閉じ込める形で生け捕り捕獲したものから、人為的に飼育し、妊娠した雌や母子を生かしたままにして、世代を引き継ぐことで、やがて、人の居留地をホームとした逃げない獲物(家畜)を発生させたという説である。もう一つの「群れの人付け仮説」はモンゴルの遊牧民が羊や山羊の習性行動に順応して移動・行動することに注目した仮説であり、人が野生動物群(羊や山 …
放牧、遊牧というものをご存知であると思うが、一応ここで確認しておく。モンゴルにおいて羊や山羊の群れが、草原を、水辺を、岩陰を、時には道路を自由闊達に草を食(は)みつつ移動している。その周囲には人もいなければ、ゲルもない。 たまにその羊や山羊の群れの周囲に犬がいる場合もあるが、その犬が羊や山羊に紛れ込んでいると感じるだけであり、原生野性種の羊や山羊が草原で暮らしている姿となんら変わらないと錯覚してしまう。もちろんのことであるが、その群れにいる羊や山羊には首輪もなく、焼印が体に押されていることもない。たまに、その群れの周辺を馬に騎乗した牧夫であろう者がうろついているが、彼からそれらに何らかの圧力を …