お城カタリストの城語り

日本には現在もかつての姿をとどめている城が12箇所あるという。古くは国府の守備の拠点として、そして武士の時代には、武士の居住地と敵からの侵入を防ぐためのバリケードとして作られた日本の城は、やがては政治の拠点としてその役割を変えてきた。シリーズ「お城カタリストの城語り」は、お城カタリストの野口紀美氏が、城の歴史にスポットを当て、我が国の歴史や文化を分かりやすく解説する。

【城の歴史14】蒙古襲来と元寇防塁

鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝が亡くなると、有力な御家人たちは将軍の持ついくつもの権限を制限し、さらに有力御家人による「十三人の合議制」によって政治や裁判を行う体制をとりました。その中心は、頼朝の妻・政子の父である北条時政であり、時政以降の北条氏は「執権(しっけん)」として幕府の実権を握ってゆきます。 13世紀後半、鎌倉時代中期の北条時宗が執権だった時代に、モンゴル(蒙古(もうこ))帝国の皇帝となったチンギス=ハンの孫・フビライは国号を元(げん)と改め、日本に侵攻します。これが「蒙古襲来(元寇(げんこう)ともいう)」です。 フビライは、突然日本を襲った訳ではありません。元は事前に、複数にわたり国書 …

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