戦後教育からの脱却

大学法学部卒業後、サラリーマンを経てライティング・WEB関連会社を設立。
法律的な観点から東京裁判の矛盾を検証したことをきっかっけに、正しい歴史認識を普及する活動をスタート。
戦後教育・戦後レジームから脱却し、真の日本を取り戻すことを目指す。

大東亜戦争開戦の真実②事実上の宣戦布告、ハルノート

皆さんは、大東亜戦争が開戦するきっかけに、ある文書の存在があったことを知っているだろうか? それは、ハルノート。 この文書が日本に渡るまで、あくまでも平和的な解決を望んでいたはずの日本が、何故急に戦争を始めるようになって …

皆さんは、大東亜戦争が開戦するきっかけに、ある文書の存在があったことを知っているだろうか?
それは、ハルノート。
この文書が日本に渡るまで、あくまでも平和的な解決を望んでいたはずの日本が、何故急に戦争を始めるようになってしまったのか?
今回は、ハルノートとは何だったのか、隠された真実について解説したい。

日本の努力を踏みにじった宣戦布告文書

ハルノートとは、日本に対してアメリカから出された交渉文書になり、1941年11月に提示された。
私たちは、「交渉」という単語を聞くと、お互いの要望をすり合わせて、合意に向かうためのものだと思うだろう。
しかし、実際の意味合いは違っていたのである。

そこには、交渉でなく、日本がこれまで築いてきたアメリカとの関係性を踏みにじるような内容ばかり。
その内容は、日独伊三国同盟を放棄、蒋介石以外の政権の否定、フランス領インドシナ・中国から撤退することが、文書内では触れられていた。
これらの要求を全て飲むと、日本の国際的地位が日露戦争前に戻ってしまう、そのことを一方的に指示ししていたのである。
日本にとって、今まで築いてきた国際関係を潰されたと言ってもいいくらいだ。
無抵抗で全面降伏しなさい、ということだ。
当然、これを日本は受け入れることができるはずがない。
つまり、真珠湾への攻撃を決定したのは、日本にとって苦渋の選択をせざるを得なかったのである。
この事実を知った時に、当時の日本政府を攻めることはできるだろうか?

スパイが書いた文書が日本に渡った

日本にとって辛い要求ばかりであったハルノート。
その内容を書いたのは、由来となったハル国務長官でなく、なんとコミンテルンのスパイであったハリー・デクスター・ホワイトという人物である。
つまり、スパイによって操作された、意図的な文書であったことが理解できるだろう。

そしてその内容は、誰が見ても日本が戦争をするしか選択肢がないように誘導している、というのを分かった上で提示しているのだ。
実際に、文書を突き付けた翌日、ルーズベルト大統領は戦争準備をするように呼び掛けていたという事実がある。
内容を全く知らない、意図的な要素がなければ、事前に戦争準備を指示するだろうか?

日本は、開戦しなければいけないと、アメリカ側から思わされてしまったのである。
当時の共和党党首であったハミルトン・フィッシュも、この内容ならば日本が戦争するしかなくなる、と後年述べていた。
一連の流れを知った時、皆さんは日本が暴走して開戦したと言えるだろうか?

日本は冷静だったのにも関わらず、煽られたのだ。

まとめ

ハルノートに書かれていた内容は、日本が自衛をするしかないと思わせるものだった。
そのような内容を見せられた時、どうにかして開戦を回避する手段がなかったのかと問う人もいるだろう。
しかしながら、日本は外交努力で開戦しないよう八方手を尽くしたのである。
しかし、最初から戦争をしたかったアメリカに対していくら外交努力で戦争を回避しようと対話しても、結局それは無意味なことだったのである。

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